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ヤフーでこんな記事を読んだ。
性的マイノリティの記事だ。
金八先生で話題になった「性同一性障害」という言葉で私は初めてこういった苦悩を抱えている人がいるのだと知った。
それからテレビでいわゆるオネェ系タレントがブームになったり、最近ではLGBTという言葉もとても身近になったと感じる。
アロマンティク/アセクシャルという言葉はこの記事で初めて知ったが、それ以外にも色々と類型があるらしい。
もちろん一つのカテゴリーにぴったり当てはまらない人もいれば、年齢によって変化する人もいるだろう。
この複雑なカテゴリーを見て、ベジタリアンの種類分けを思い出した。
日本エシカルヴィーガン協会によれば、ベジタリアンといっても広義から狭義、部分的なものまで10種類に分かれるらしい。
卵は食べるオボ・ベジタリアン、乳製品は食べるラクト・ベジタリアン、完全菜食主義のヴィーガン、といった具合に。
しかし、性的マイノリティはベジタリアンと違って、自分の意思でなるものではない。
まして目には見えない心の問題で、容易にカテゴライズできるものではなく、その型がたくさんあって当然だと思う。
ヤフーニュースの記事に対するコメント欄には、
「そこまで細分化する必要があるのか」
「何のマイノリティだって、好きに生きれば良い」
という声が見られた。
これはマイノリティ側ではなく、間違いなくマジョリティ側の人の意見だ。
私は性的にはマジョリティで、マイノリティであることで苦悩を抱えている人の気持ちは分かるはずがない。なので以下は全て想像になる。
一つにマイノリティといっても、たくさんの形があるだろう。
自分は人と違うことに気付き、思春期は特に悩むこともあったはずだ。
しかし時代は進み、インターネットのお陰で世界は小さくなり、どうやら自分と同じような人が他にもいるらしいと気付く。
それだけで理解者を得たり、悩みが消えるわけではないけど、
カテゴライズされることで安心する面もあるのではないか。
体調が悪くて病院に行って、医者に「何の病気かは分からないけど、たまにあることなので多分心配ないですよ!」と言われたら私は余計不安になると思う。
それなら、「ちょっと厄介な〇〇っていう病気なんだけど、上手く付き合っていきましょう」と言われた方が前向きな気持ちになる気がする。
(性的マイノリティが病気だという意味ではない)
「名前が付くと安心する」→「自分だけじゃなかったんだと思える」ということだろうか。
性的に限らず、すべてのマイノリティが悩むことなく自由に生きられれば良いと願う。
人はどこかしら必ずマイノリティな部分があるはずだから。