文章練習帳

日々考えたこと

友達

私は昔から友達が少ない。

 

小学生の頃から集団行動は苦手だったし、

女子グループで固まるのも苦痛だった。

けど、疎外感を感じたくなくて、クラスで目立ちそうなグループに頑張ってしがみついていた、典型的な女子児童だったと思う。

 

この傾向は高校2年生の頃、ガラッと変わることになる。

 

私は私立大学の付属高校に通っていて、生徒の8割程が附属大学に進学する学校だった。

大学受験をしなくて済むからその高校を選んだのに、結局私は他大学を目指すことになった。

もちろん附属の大学より上のランクを目指すので、高校の授業より予備校の授業が大切だった。

高校の先生方も、「合格すれば、他大学からの推薦枠が増えるから」と、最低限の出席日数で通学することを提案してくれた。

 

そこから私は何より受験勉強を優先することにした。

そうすると、クラスメイトからは、「なぜか外部受受験を志す、学校にあまり来ない人」として見られることになる。

何なら体育の授業だけ出て帰ったりしていたので、相当不思議がられた。

結果、高校生活で友達は一人しかできなかった。

 

正確にはたった一人としか交流しなかったわけではなく、何となく5~6人と一緒に過ごしてはいたが、気兼ねなく話せる友達はその一人だった。

 

思春期の高校生にとって、友達が極端に少ないことはさぞかし寂しかっただろうと思われていたかもしれないが、

そんな寂しさは微塵も感じたことはなかった。

なぜなら、「合格したい!」という、「やりたいこと」が明確だったからだ。

私にはやりたいこと、やるべきことが他のクラスメイトより強く明確だったので、それ以外の学校生活はもはやどうでも良かったのだろう。

同じ志を持った人がいれば友達になったか?と考えても、「なったかもしれないけど、友達に割く時間はその頃無かった」という結論に至る。

やりたいことに100%時間をかけていたから。

 

そう思うと、この時間はかなり有意義であり、贅沢な時間だったともいえるかもしれない。

 

そして高校を卒業して10年以上経った今、同じ状況を味わってる。

 

学生時代から少なかった友達だが、社会人になってからもその傾向は相変わらずだ。

まぁ、大人になって友達が急増する人もいないだろうから、皆そんなもんだろう。

(「知り合い」が増える人はたくさんいるかもしれない)

 

そんな数少ない友達の中に、会うとあまり心地よくない気分になる人がいた。

考え方が全然違うし、なぜかいつも求めていないアドバイスをくれるので、話していると何とも言えない気分になるのだ。

 

もし数年前なら、何となくやり過ごしながら会い続けていたかもしれない。

二人きりではなくて、もう一人の友達を三人で会うことがほとんどだし、「三人グループから突然抜ける」というのは、やはり気が引ける。

 

が、私はもうその友達とは会わないことに決めた。

堂々とグループを抜けようと思う。

 

なぜなら、人生の時間は有限で、無駄足踏んでいる場合ではないと気付いたからだ。

 

そんなの当たり前だと思うだろうか?

その当たり前に気付けず、あまり楽しいとは言えない時間を私は長いこと過ごしていた。

同じような人も多いのではないだろうか。

 

高校生の頃に経験した、「やりたいこと」に時間を注げることの充実感は何事にも代えがたい。

大人になった今、残りの後半人生はそんな時間にしたいのだ。

だから、気持ちの良い関係しか築きたくない。

 

そう決めたら、楽になった。

そして、「やりたいこと」をより実感できたことに、私は満足している。

だから、罪悪感も感じない。

 

もしかしたら相手を不愉快にするかもしれないけど、私は自分の人生をもっともっと楽しいものにしたいのだ。

 

もちろん、面と向かって「もうあなたとは会わない!」なんて言わないし、その辺はうまいことやりたいけど。